ソランが旅立ってしまって、

何もできない、

やる気がおきない日々をすごしていました。




変身して布に包まれたソランに語りかけ、

写真の中のソランに語りかけ、

いつもいた場所に向かって語りかけ・・・。





それでもソランは返事をしてくれない。

いったいソランはどこにいるのか・・・。




夕方になると、最大級の寂しさに襲われます。

散歩に行きたくなって、

ソランの首輪を手首にかけて、写真をポケットに入れて、歩き出します。





いつも一緒に歩いた道のり。

ソランと最後の方に歩いた速度で歩いてみる。

い〜ち・・・に〜い・・・さ〜ん・・・し〜ぃ・・・・

こんなゆっくり歩いていたんだっけ・・・。

ソラン、頑張ってたな。

恋しくて、泣きながら歩きます。





いろいろ思い出し、後悔もまた大きくなります。

ソランは私に介護もさせず、辛い決断もさせず旅立ってしまった。

私のために急いだの?






今さら何を言ってもソランはもどってこない。

無事に旅立てたのだからと、自分を納得させても気持ちはおちつきませんでした。






ソランに会いたいな・・・











ソランを感じられず過ごしていましたが、

初七日を過ぎた頃から、ソランはそばにいると、思えることが起きるようになりました。





母とソランのことを話していて、淋しいと訴えていると、

花瓶に生けてあったトルコキキョウの中の、たった一輪だけが、揺れはじめました。

驚き、じっと見つめました。

その一輪だけが、ずっと揺れていました。

母と顔を見合わせて、

「ソランが、いるよって知らせているんだね。。。」と、話しました。





「ソランはそばにいる!」

普段なら恐いと感じることが、喜びになっていました。

どんな恐いことが起きても大丈夫だから、

ソラン、もっともっと知らせてくれたらいいのに・・・と、ソランの写真を見て思いました。





ですが、残念なことに、

その後、ソランの存在を、目で確認できたことはありません。

「ソラン、何を遠慮しているの?」

と、思いますが、

そういう目に見えるような現象をおこすのは、とても大変なことなのかもしれません。

ソランに苦労をかけるのは可哀相なので、もうそういうことは望まないことにしました。





それでも、

頭を振ったときに、耳がバタバタと揺れる音が聞こえたり、

ソランが通ったような影が見えたり、

風もないのに、カーテンがゆれたり・・・。

『ソランがいる』と、感じる時がときどきありました。

どれもみな、たまたま起きたことなのかもしれません。

わかってはいるのですが、

寂しさを和らげるために、そう思わずにはいられませんでした。





ですが・・・





「そばにいる」と感じられることはとても嬉しかったのですが、

触れることができないことが、

寂しくて寂しくて、何もできない状態は続いていました。